「ふつう」はいかにして、普通になるのか 「均質化/多様化モデル」という新たな仮説
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●プロフィール

松本敏治(まつもと としはる)
博士(教育学)。公認心理師、特別支援教育士スーパーバイザー、臨床発達心理士。北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。稚内北星学園短期大学講師・助教授、室蘭工業大学助教授、弘前大学助教授をへて2016年まで弘前大学教授。弘前大学教育学部附属特別支援学校長、弘前大学教育学部附属特別支援教育センター長を歴任。現在は、教育心理支援教室・研究所「ガジュマルつがる」代表。長年、発達障害児者への教育相談・支援活動を行う。著書に『自閉症は津軽弁を話さない』『自閉症は津軽弁を話さないリターンズ』(以上、角川ソフィア文庫)、『自閉症は英語がお好き!?』(福村出版)など。
●ASDを捉え直す
−− 松本先生がASD(自閉スペクトラム症)の新たなモデルを考えていらっしゃるということで、今回はその仮説についてお聞かせください。
「均質化/多様化モデル」と呼んでいます。詳しくは「情報伝達に基づく社会相互作用モデル」といいます。
−− ちょっと難しそうに聞こえますが、簡単に言うとどのようなモデルなのでしょうか?
これは「『ふつう』はいかにして、普通になるのか」という話です。人というのは生まれながらに、少しずつ違いますよね。人というのは、さまざまな特性の連続的な分布の中にあると考えられます。色で例えるなら、皆ちょっとずつ違う、いろんな色を持っているわけです。
生物学的な特性で考えてみると、例えば「社会的手がかりへの選好」に対しても、人によってその度合いは違います。人の声や表情にパッと目を向けることがすごく得意な子もいれば、なかなか注目できない子がいたり。「注意の柔軟性」に関して言えば、注意が分散しやすい子もいれば、逆に集中しすぎてしまう子もいる。そんな風に考えると、ヒトという個体はさまざまな生物学的特性を持ちながら、いろいろな形で連続的に分布しているといえます。

*著者提供
−− 「社会的手がかりへの選好」にしても「注意の柔軟性」にしても、あるかないかではなく、どれくらいあるか、ということになりますね。そこには連続性がある。
私が注目するのは、この「社会的手がかりへの選好」です。子どもたちの大多数は、「社会的手がかりへの選好」を持っています。それはつまり、人の声や表情、視線、しぐさなど、人が発するものに対して、十分に目を向けることができるということです。これがあることで、養育者に養育行動を引き起こすことができるわけです。
−− 例えばお母さんに対して、ニコッと笑う、とかですね。
そうですね。声をかけるとじっと見るとか、赤ちゃんに対して養育者がアクションを起こしたときに、嬉しそうに反応するとか。そういったコミュニケーションが生じることで、養育行動を引き起こすことができるわけです。この反応は、赤ちゃんが生きる上で有利になる行動です。
−− 親御さんも、自分の言葉や表情に赤ちゃんが反応してくれたらうれしいですし、さらに働きかけたくなりますね。
そんな風に社会的手がかりに注目する力が高い子どもは、人とのやりとりの中で、多くのことを学んでいきます。例えば、「ほら見てごらん。ネコさんがいるよ」というやりとりの中で、言語を学んでいくわけです。
ところが一部、この社会的手がかりにうまく目を向けられない子どもがいます。ではこういった子が何に注目するかといえば、本人が好きなもの、興味を持ったものなど、個人的体験を中心にした情報が多くなります。そのため、それぞれの子どもに入る情報の量・質・種類が大きく変わっていきます。
−− すごく単純化して言えば、「社会的手がかりへの選好」が高い子どもは、周囲の人とのやりとりの中から情報を得て、それが低い子どもは自分の興味の向く先、例えば本やテレビ、ネットから情報を得ていく、ということですね。
そうです。子どもが本来持っている特性によって、入力方法が変わり、それによって入力される情報が変わるということです。もちろん、どちらか一方の方法というわけではなく、両方の方法がバランスよく組み合わさる人もいますし、どちらかが少しだけ多いということもあります。
●「社会的手がかりへの選好」が高い典型的な子
このインタビューはオンラインでしたが、それでも最初に顔を合わせたとき、私たちは「こんにちは」とまず挨拶をしました。これは、私も黒坂さんも、まずこういう振る舞いするものだという共同体の知識を持っているからです。
−− そうですね。あまり考えずにあいさつをしていました。
あいさつは、社会的振る舞いのいい例ですが、朝会った時にどう頭を下げるのか、帰りがけにはどう振る舞うのか。そういった日常のあいさつは、自分で考えたものではありませんよね。
−− 周りがそうしているから、自然とするようになったのだと思います。小さい頃、親に教えられたことがあったかもしれません。
そうですよね。周囲の行動を見て自分に取り入れたり、人から教わることもあります。誰かとのやりとりを通じて真似するようになったり、マナーとして学んだり、アニメなどを見て取り込む場合もあるかもしれません。あるいは学校で教わることもあるでしょう。
この獲得方法の違いが、獲得する情報の違いを生み出し、ひいては世界の見方を変えてしまうのではないか、と私は考えています。
−− それはどういうことですか?