自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心 東田 直樹 (著) (エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)
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私が持っているこの本の奥付を見ると、
2007年2月28日 初版第1刷 発行
2014年12月25日 初版第20刷 発行
という記載があります。
購入したのは、おそらく2015年頃だと思います。当時まだ息子は小さく、発達障害とわかる前でしたから、私はきっとこの本を話題のエッセイの一つとして買ったのだと思います。当時はまさか、自分が将来、自閉スペクトラム症を含む発達障害について記事を書くようになるなど、思ってもいませんでした。
以来、何度も読み返すことになるのですが、何度読んでも、新鮮さを失わないのがこの本の大きな魅力です。当時中学生だった著者が、どうしても伝えたいと思った世界。自分が見ている、感じている、生きている世界を、五感に訴えかける言葉で、私たちに伝えてくれます。
著者は、会話が難しい重度の自閉症のために、自分の思いを人に伝えることができません。この本を読めば、著者がどれほどの言葉を抱えているかがわかります。しかしそれを声という媒体にして表出しなければ、周りの人からは「何も考えていない」と思われてしまうわけです。その苦しさがこの本には多く綴られています。本の一番最初に収めらた文章が「筆談とはなんですか?」であることからも、著者がどれだけ自分の気持を周りの人に伝えたかったのかがわかります。
みんなは、話すことが意思を伝えることだと考えているかも知れません。しかし、話すという神経回路を使わずに、文字を書いたり指したりすることで、自分の気持ちを表現する方法もあるのです。
僕は、とても筆談などできるはずはないと思っていました。その僕が、今はパソコンや文字盤を使って、本当の自分の気持ちを表現できるようになったのです。
それはとても信じられないことでした。
話せないと言うことは、自分の気持ちを伝えられないことなのです。孤独で夢も希望もなく、ただ与えられた毎日を人形のように過ごすことなのです。
僕が自分の意志で筆談できるようになるまで、長い時間が必要でした。筆を持った僕の手を、お母さんが上から握って一緒に書き始めた日から、僕は新しいコミュニケーション方法を手に入れたのです。
母は、息子の中にある言葉を外に出すために、その手をとって、筆談、文字盤を指すことで文章をつくる方法、そしてパソコンなど、話す以外の方法の訓練を続けました。それによって、著者はその心の内を私たちに伝えることができるようになったのです。以来、著者は作家として多くの作品を私たちに届けてくれています。
学習障害がある息子も、自分の考えていることを表に出すことに苦労しました。小学校低学年の頃の日記や作文は短く、「運動会がありました。楽しかったです」といったようなものでした。3年生でタイピングを練習し、初めてパソコンを使って夏休みの宿題をしたときのことを、私は今でもよく思い出します。
それは目にしたものや、その時の気持ちが綴られたある程度の長さがある文章で、「ああ、頭の中には文章があったんだ」と感じました。書くことが苦手だったために、ただ自分の中にある文章を外に出すことができなかったのです。
そんな風に苦労している人は、周りにもいるかもしれません。
●思い通りにならない言葉
自分の声の大きさをコントロールできない。相手の言葉をオウム返ししてしまう。言おうとした頭の中の言葉が消えてしまう。「はい」と「いいえ」を間違えてしまう。そういう状態に常に置かれていたとしたら、この世界でのコミュニケーションはどれだけ難しくなってしまうでしょうか。
著者自身も会話ができないことに対して、「僕もはなせないのはなぜだろうと、ずっと不思議に思っていました」と書いています。
話したいことは話せず、関係のない言葉は、どんどん勝手に口から出てしまうからです。僕はそれが辛くて悲しくて、みんなが簡単に話しているがうらやましくてしかたありませんでした。
●思い通りにならない体
思い通りにならないのは、言葉だけではありません。
体も自分が思ったとおりには動いてくれません。そもそも「手足がいつもどうなっているのかが、僕にはよくわかりません」と著者は書きます。どうやったら、それらが思い通りに動くのがが、よくわからないというのです。
これまで自閉スペクトラム症の方のお話を聞いてきた中で、これは共通しているものだと感じます。「まるでロボットを操縦しているよう」という表現をした方も何人かいました。自分の体が自分の思う通りに動かなくて、もどかしい思いを抱えているわけです。
体が思い通りに動かないことは、体操の問題だけではありません。それが物事を複雑にしていきます。「どうして言われてもすぐにやらないのですか?」という文章に、それが表現されています。
自分がやりたくても、やれない時もあります。体がいうことをきいてくれない時です。体がどこか悪いのではありません。なのに、まるで魂以外は別の人間の体のように、自分の思い通りにはならないのです。それは、みんなには想像できないほどの苦しみです。
体が動かないだけなのに、「やる気がない」と判断されてしまうことがあるわけです。
これは、発達障害をもつ子どもが、よく経験することだと感じます。例えば学習障害において、単に文字がうまくかけないだけなのに、「ふざけている」と思われたり、「やる気がない」と判断されたりしてしまうことは、よくあることです。それで勉強のやる気を失ったり、学校にいくことを諦めてしまったりする。
このような周りの決めつけが、子どもを大きく傷つけるのです。
●今の自分が普通
先日、ジョリー・フレミング氏の公開シンポジウムに参加したのですが、その際、東田直樹氏とお母様もオンラインで参加されていました。フレミング氏が、自身の著作と翻訳者の上杉隼人さんを通じて東田さんと交流を続けているのは、とても素敵なことだと感じました。
2人の作家の意見には、相通ずるものが多くあるように思えます。
フレミング氏は『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』の中で、次のように述べています。
僕は自閉症だから、健康状態がよくないとみんな思うかもしれない。でも、自閉症は僕の通常の状態なんです。今と違う状態はないし、今と違う状態に将来なることもない。
東田氏は、「自閉症の人は普通の人になりたいですか?」という質問に答えて、「僕も普通の人になりたい」と願っていた気持ちを明かし、そしてその思いが変わった理由を述べた後、文章を次のように締めくくっています。
僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。
自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。
「自閉症は僕の通常の状態」と言うフレミング氏。「自閉症でいることが普通」という東田氏。
自閉症をもたない人が考える「普通」が、唯一無二の「普通」だと、決まっているわけではありません。「普通」はひとつだけではないし、さまざまな形があるのです。そんな「普通」の世界を見せてくれるのが、この本なのです。
●『自閉症の僕が跳びはねる理由2』
『自閉症の僕が跳びはねる理由2』は、この続編で、2010年の出版当時、著者は高校3年生です。大人になっていく著者の成長の記録にもなっています。
思考は深みを増し、その明晰さで自身の内面を掘り下げる執筆の過程は、言葉で表現できる喜びがあるだけではなく、時につらい作業だったのではないかと思います。
繰り返し語られるのが、どうにもならない心と体です。こうしたい、こうしたほうがいいとわかっているのに、感情も体も口からでる言葉さえ、著者の思い通りにはなりません。そのもどかしさが痛いほど伝わってきます。
「笑い出すのは気持ちが楽しいときですか?」に答えて、著者はこう記します。
問題は、悲しくてどうしようもないときにも笑い出すことです。おかしいと思われるかも知れませんが、辛いのに笑い出してしまいます。なぜ怒られているのか不満に思うことが多い中で、怒られている状況が自分でもよくわかったとき、ついそれが嬉しくて、笑い出してしまうのです。
本書には、作家として歩み出す著者の、執筆に向き合う真摯な気持ちが込められています。また、自分が生きていく意味を探す一人の若者の姿も見つけることができます。
高校生になった著者が、その葛藤と未来への希望を描いたみずみずしい続編です。
●『だから毎日、幼稚園に通えた』
『だから毎日、幼稚園に通えた』は、2025年に発売された東田氏のエッセイです。
幼稚園時代のビデオを見るなどして当時を振り返ったという著者は、その当時見えた景色を含めて、体験や思いを綴っています。発達支援の保育誌『PriPriパレット』での連載ということもあり、保育者や支援者に届くよう書かれたものとなっています。
そのため、話さない子どもや、発達に特性のある子どもが、幼稚園時代にどのような気持ちを抱えているのかが、周りに伝わるように意識してえがかれています。小さなお子さんを育てている親御さんにもぴったりだと感じます。
このエッセイを読んで気づくのが、幼い頃の著者(直樹君)が、どれだけ物事をつぶさに観察していたのか、そして五感でそれを受け止めていたか、ということです。
小さな直樹君は、空を眺めます。そして色の違い、雲の変化に目を向けます。
ウグイスの鳴き声に励まされ、風の音に耳を向け、雨音に耳をふさぎ、日ごとに小さくなる虫の音を感じます。
春のそよ風がチョウチョウの体をそっと下から支えていることに気が付き、藤棚を下から見上げて花びらが降り注ぐ瞬間のイメージの中に、入り込みます。濃いピンクの寒椿の花が「花丸」そっくりだなと眺めます。
ほのかにかおる甘い花の香りに気づき、粘土の独特のにおいを感じます。
幼稚園バスの青、ツツジの花の赤、お弁当箱の黄色、紫陽花の紫、瞳に入る七色の虹。そして、差し込んでくる光。直樹くんの日常は、色と光に溢れています。
五感すべてで世界を受け止め、精いっぱい毎日を過ごしている姿に、こちらの心も揺さぶられます。
口から言葉がでなくて、悲しい思いをすることも多かった直樹君ですが、先生が「楽しかったね」「ごめんなさいだね」「ありがとうって言いたいよね」などと、気持ちを代弁してくれたことで、救われたといいます。
この本は、第1章と第2章に分かれています。第2章は「東田直樹のお悩み相談室」として、保育者への悩みに回答しています。「子どもがじーっと顔をのぞいてくるときは、どんな気持ちなのでしょうか?」に対する返答の中に、こんな一節がありました。
子どもが顔を近づけるのは、相手の目に惹きつけられるからだと思います。僕が先生の顔を見ようとすると、先生も僕を見ます。よく見ると先生の瞳の奥に何か映っています。何だろうと思うと、ますます顔を近づけて見たくなるのです。それが自分の顔だということがわかるまでくり返します。
これだけ詳細に、そして繊細に世界を捉えている子どもがいる。それを知るだけで、子どもへの眼差しが違ってくるはずです。
東田 直樹(ひがしだ なおき)
1992年生まれ、千葉県出身。会話が難しい重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングにより、コミュニケーションが可能。13歳の時に執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)で理解されにくかった自閉症の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。 同作は翻訳され、2013年に「The Reason I Jump」が刊行。現在30カ国以上で翻訳、世界的ベストセラーに。著書に『自閉症の僕が跳びはねる理由2』『ありがとうは僕の耳にこだまする』『あるがままに自閉症です』『跳びはねる思考』『自閉症の僕の毎日』『自閉症の僕が見つけた生きづらい世界の変え方』など多数。最新刊は、2025年11月に発売された「自閉症の僕が、今も跳びはねる理由(KADOKAWA)。2021年10月『Forbes JAPAN』誌が選ぶ、世界を変える30歳未満の30人 30 UNDER 30 JAPAN 2021に選出。
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