『奇跡の脳』ジル・ボルト テイラー (著) 竹内 薫 (翻訳) 新潮文庫(2012年3月)
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●脳科学者の脳卒中体験記
脳卒中に襲われたとわかったとき、著者のジル・ボルト・テイラーのように感じる人は、まずいないと思います。ハーバード大学の脳科学者であるジルは、37歳のある朝、自分が脳卒中に襲われたと知ります。1996年のことです。右腕が完全に麻痺し、からだの横に垂れ下がっているのを見たとき、ジルはこの症状が脳卒中であると確信します。
そして、次のような思いが頭に浮かんだのです(引用のひらがなは、書籍の通りとしています)。
(あぁ、なんてスゴイことなの!)
奇妙ですが、幸福な恍惚状態に宙吊りになっているように感じました。そして突然訪れた、脳の複雑な機能への巡礼の旅に、生理学的な裏づけと説明があるとわかったとき、小躍りしたくなるような気持ちになりました。わたしは考え続けました。
(そうよ、これまでなんにんのかがくしゃが、脳の機能とそれがうしなわれていくさまを、内がわから研究したことがあるっていうの?)
脳科学者として、脳の知覚の仕組みを研究してきたジルにとって、この体験は、またとないチャンスに思えたのです。脳の機能を内側から知ることができるからです。
しかし同時に、脳卒中の影響で脳の機能はものすごい勢いで衰えていきます。思考することが難しくなり、認知能力がどんどん失われていきます。ジルの脳卒中は大脳の左半球で起こったために、左脳による言語や数字、計算を扱う能力を失いつつあったのです。
この時にジルに起こった現象は非常に興味深いものでした。左脳の機能がオフになり、右脳だけがオンの状態で、人は何を思うのかということを、ジルは経験することになったのです。そこに訪れたのは、大きな幸福感でした。
左脳の高度な認知機能が働かなくなったことで、過去からも未来からも切り離され、自分の体の境界さえもわからなくなり、「ジル・ボルト・テイラー博士」という個人としてのアイデンティティを失い、宇宙と融合して「ひとつになる」感覚に覆われたといいます。「悟りの境地」という例えを著者は使っています。非常に大きな多幸感に包まれたものだったというのです。
著者は右脳と左脳を次のように説明しています。
さまざまな情報のシャワーが、視覚や聴覚といったそれぞれの感覚系を経由して、脳の中へ一気にどっと流れ込んできます。その一瞬ごとに、右脳マインドは、この瞬間がどう見え、どう聞こえ、どんな味でどんな匂いでどう感じるのか、という膨大なコラージュをつくります。
私たちの右脳は、「この瞬間」を生きている。「今」を生きているのが右脳です。
右脳は芸術的な才能と結び付けられて語られることがありますか、ジルの右脳の描写の中に、その繋がりが垣間見えます。「今」という一瞬を感覚を通して一気に捉えて脳に保存する力。何か大きな存在の一部として自分を感じる力。そして幸福感に満たされる状態。このような右脳の様子は、芸術作品を作り出すエネルギーになるのかもしれないと感じました。
また、右脳の情報処理は「ビジュアルシンカー」に通ずるものがあります。物事を言語ではなく、絵や画像で考える人のことです。発達障害の本を読んでいると「絵で考える」という描写に遭遇することがあります。
一方、左脳の描写はずいぶん違います。
左脳は右脳によってつくられた内容豊富で複雑な瞬間のそれぞれを取り上げて、時間的に連続したものにつなぎ合わせます。それから左脳は、この瞬間につくられた詳細と、一瞬前につくられた詳細を次々と比較し、きれいな直線上に並び換える作業を行ないます。こうやって、左脳が「時」の概念を明らかにしてくれ、瞬間は過去、現在、未来に分けられていくのです。
右脳が切り取った「今」を、左脳が分析し、分類してくれるわけです。著者は左脳を「微に入り細をうがつように、細かく細かく、細部にこだわり続けます。だから、大脳の左半球の言語の中枢はあらゆることを説明し、定義し、分類し、伝えるために言葉を利用するのです」と説明します。
通常、これらの二つの脳はうまく補い合いながら、働いています。ジルは、左脳の機能を著しく損なったことで、残された右脳の働きを知り、8年という時間をかけて左脳の機能を回復する中で左脳の役割を実感することになったのです。
●数字や言葉の意味が失われていく
意識を保つことが難しくなる中で、ジルは助けを呼ぼうとします。しかしジルの左脳は血液に埋もれつつあり、911 (日本の119番に相当)にかけるという考えも浮かばなくなっていました。電話のボタンにある「2」を見ても、それは数字の「2」を意味しているのではなく、「2」に似た模様になっているように思えます。なんとか意識が明晰である短い時間を使い、職場に電話することに成功したものの、相手の言葉も理解できず、自分もうまく話せなくなっている自分にジルは驚きます。その頃には、会話はすでに難しくなっていたのです。
また、目の前にある電話についての概念もほどけていきます。電話ではなく、「非常に面白くて変わった種類の何か」というものに電話が変化してしまいます。電話というものに対しての認識が失われていったわけです。
脳のある特定の機能が失われると、何が起こるのか。ここまで例に出したように、本書にはその時の様子が克明に記されています。そしてこの本は脳、特に左脳と右脳がどのように働いているのかを知る上で、非常に興味深い内容となっています。
左脳の機能を失ったことで、口から出る音は言語にならず、見るものは実態を結ばず、聞こえる声を騒音と区別できない。そのような状態に至ります。
著者は脳神経科学の専門家ですが、この本は一般の人に向けて丁寧に書かれています。脳卒中を防ぐために、また脳卒中からの回復をサポートする目的も含まれています。そして同時に脳に魅せられた研究者として、その美しさとたくましさを語る物語にもなっています。
読む前に、こちらのTEDトークを観ておくと、本の内容がさらに理解しやすくなると思います。著者本人がこの体験を語っているため、本書の内容を直感的に理解しやすくなります。2008年にアップされた動画ですが、史上もっとも人気のあるTEDトークの一つとして知られています。
●発達障害やディスレクシアの脳を知る助けにも
この本の内容は、発達障害を理解する際にも、示唆を与えてくれます。脳について知ることは、発達障害について知る助けにもなるからです。ディスレクシアの脳がどのように働いているのかは、まだ十分には解明されていませんが、本を読んだり、話を聞いたりしていると、右脳と左脳について考えさせられる場面が出てくるものです。
また、自分自身の体をうまくコントロールできず持て余してしまう感じや、感覚が過敏になってしまう様子、文字や数字の認識に関する描写は、脳のそれぞれの機能について考えるきっかけになります。本書は、脳とは何かを知るための全体像を与えてくれる本だと思います。
だれもが持っているのに、まだまだ謎だらけの脳。その世界を垣間見せてくれる『奇跡の脳』。自分自身やお子さんの特性を理解する手掛かりになるかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。自分の大好きな本について書くことができ、みなさんにお伝えできたことを嬉しく思います。
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